ほんたうに ひとりぼっちで いるために わたしは誰かの 隣に座る
誰かの隣に座る。向かい合うのではなくて、隣に座る。同じ景色を眺めて共有する。日が暮れてお別れをして、それぞれの家に帰る。
帰り道はひとりぼっち。でも、さっき見た景色が残っている。さっきまで聞いていた声が耳に残っている。それらがお守りとなる。段々と顔も思い出せなくなるけれど、体温のやうなものが心に残っている。それはとても心地よくて、私はひとりぼっちを満喫する。
"人が独りでいるのは良くない。"
ー 創世記2章18節
その通りだと思う。完全に隔絶された存在として自分を捉えてしまうと、ただ淋しさに生殺しにされるだけ。誰かとのほんの少しの間の別れとして有るからこそ、ひとりの時間は愉悦となる。
ひとりでいちゃだめだ。
だけども、自分にはもはや誰もいない。
大丈夫。
米一粒からでも、人と繋がることができると亡き詩人が教えてくれている。
本日の一曲は
ロクデナシで「ユリイカ」。
本日のビデオは
ナナオサカキの特集動画から。
ボンヘッファーが獄中で悟ったキリスト教はかなり此岸性が高く、私はとても共感を持っている。