神様を 見ようと父と 待ちあわせ 二人で風に 吹かれてすごす
服部真里子『行け広野へと』より
(本阿弥書店、2014)
掲出歌の「父」は、「神様を見ようと」・・・・主人公とぼんやり空を見上げている。こんな時間がいつまでもいつまでも続いていきそうなやさしいうたいぶりだ。
神様を見ようと父と待ちあわせ二人で風に吹かれてすごす – 砂子屋書房 一首鑑賞
涼やかな皐月の夕方に吹く風が心地よい。この涼風は天国を追慕させる。
天国といえば、敬愛する宮沢賢治は「ひかりのすあし」の中で、一冊の本の中に無数の本が入っているような本に出会える図書館を天国のような場所として描写している。下のリンク先のブログの方も綴っておられるように、これはアプリがたくさん入っているスマホ端末が行き渡った現代社会のことではないか。そんなことをひとり考えた。
「ひかりの素足」 の天国 | 九段の真希のパッチワークな日々
嫌なことがあっても、静かに風を迎えるやさしいひとときを一日の終わりに設けられたら、今日もいい一日だったと思える。親しい誰かと一緒なら尚更。そんな日がいつかきっと来ることを夢想している。