向き合わない ように置かれた 腰掛けに 僕ら花びら みたいに座る
岡野大嗣
歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』より一首。
訳もなく寂しくなることがある。それはきっと、出会うはずだった誰かと出会えていないからなんだと思っている。たとえばこの歌のように、向かい合って座っていればお互いを認識することくらいはできたのに、向かい合ってないから認識すらできないでいる。そんな感覚。もしかしたら交差点で何度もすれ違っていたかもしれない。夕映えのあの庭園で同じ時間を過ごしていたかもしれない。けれど結局出会えなかった。
ともあれ、空間として捉えれば、向かい合って座っていない、別々の景色を眺めている状況こそ、違う方向を向きつつ一つの形態を成す花びらのように、ある種の一体感を醸出している。出会わないことでひとつの何かを協働で完成させている。それはそれで美しいと思う。
けれども、そう遠くないいつの日か、ほんたうに邂逅できる其の時を、わたくしは切に、切に待望している。
本日のビデオは、伊藤ゴローチャンネルの音楽ドキュメンタリー(公式動画)。詩聖タゴールのエピソードも登場する。