7オンスの庭

文化あふるる言の葉の庭

好きな陶芸家の話。

 

 

くちびるに 触れるあたりを つと触れて 盃ふたつ 買う陶器市

toron*

 

 

くちびるに触れるあたりをつと触れて盃ふたつ買う陶器市 – toron* | 新鋭短歌シリーズ

https://twitter.com/toron0503

 

 

 

陶器にまつわる一首。私には好きな陶芸家が2人いる。一人は星合信令。もう一人は東健次。

 

 

 

星合信令は愛知県で活動した陶芸家。味わい深い顔立ちの交通安全観音を多く建立したことで知られる。

瀬戸市の陶芸家 星合信令(明治34年~昭和59年 享年82歳)の作品を研究されている方が突然来所され、陶器関係書籍の記載に信令が昭和33年2月に“瀬戸養護院に観音像を寄贈した“ との記述があり、施設内に観音像があれば見せていただきたいと来所され、観音像をみていただきました。その方は、観音像を見るなり、嬉しそうな微笑を浮かべ、まちがいなく信令の観音様と喜ばれました。

toujyusou.exblog.jp

 

 

 

東健次は三重県で活動した陶芸家。作陶に生涯を捧げ、「虹の泉」という独特の芸術的な野外空間を遺している。  

東健次さん(1938年〜2013年)は飯南町で育つ。全国現代陶芸展(主催:朝日新聞)入選、日展入選。セイロン、エジプトなどを旅する。1965年に青年海外協力隊として海外任務の傍ら、虹の泉の構想を練る。アルゼンチンに移住して窯を構えたスタジオを造る。1978年に帰国し、アトリエと窯を築き、虹の泉の創作がこの地で始まる。  ・・・1965年、虹の泉の構想から、2013年まで約半世紀。 一人の人間が魂を削り、想いを込めて創り続けた陶芸空間。 これからも、作者の想いとともに光り輝き続けて欲しい。

otonamie.jp

 

 

 

光明点

 

 

一切を 漏れなく包む 光明点 摂取不捨なる 慈悲の筆法

 

 

 

今度の日曜は4月28日。聖祖(賢治がいたサンガではこのように呼ばれていた)が七字を高らかに唱え、法華宗をこの娑婆国土に建立した記念日に当たる。

 

南無妙法蓮華経の七字は、末広がりを意識したような独特の筆致によって表現される。これを光明点の筆法と呼ぶ。

 

七字は光。そして、七字を取り囲むようにして文字で描写される諸々の尊格もまた光。さらば、虚空会を再演する曼荼羅全体が、目の前で礼拝する行者を包み込む大きな光明として立ち現われてくる。

 

太陽が昇るのは、夜の闇を破るため。ボーディサットヴァが生まれてくるのは、衆生の闇を破るため。光は闇の厚い壁をブレイクスルーするために示現する。

 

 

出会いについて

 

Taylor Swift - Enchanted “叶わない恋をしているあなたへ”

 

 

 

Taylor Swift - Karma 

 

 

 

師や友や 最愛の人 胸中(むねなか)に ありて咲き出る 時が満ちれば

 

 

 

弟子の用意が整うと、グルが現れる。受信機がうまく調整されると、音楽が入ってくる。こちらから来てくださいと言う必要はない。われわれがしなければならないのは自分自身を調整することだけだ。そうすると、一秒のズレもなしに、グルが何らかの形で現れる。

スワミ・サッチダーナンダ『インテグラル・ヨーガ』237-238頁より

 

 

 

出会いを求める際に必要なのは、マッチングアプリで詐欺まがいのメッセージに翻弄されることではなく、婚活パーティーで貯金と神経をすり減らすことでもなく、時が満ちるのを忍耐強く待ちながら、自分を整え磨いていくことなんじゃないかとずっと思っている。そう思ってはいるが、結局あれこれ迷って振り回されるのが、私という人間のさがなのだけれども。

 

 

ともあれ、いつの時代であれ、泥の中から美しいハスは芽を出す。救いようもないこの日常の中から、きっと素敵な出会いが実を結ぶはず。用意をしよう。いざ出会いが咲き出てきた時に慌てて判断を誤らないように。

 

 

終わりの雨


 

 

夢醒めて 現(うつつ)を見れば そこもまた 夢心地だから 目を開けていいよ

 

 

怖くないよ。そんな虚しい夢にこれ以上多くを費やさなくてもいい。善知識はそこ以外にもいるのだから。もう潮時だよ。目を開けるタイミングは今。そこにはもう喜びは湧き出さないのだから。

 

日常に 大きな蓮の 花開く 泥臭くとも 諸佛於此なれば

 

 

長年お世話になったことに感謝を献げて、今宵を最後にした。

 

 

今宵、旅立ちの一曲は

Eric Benet でI'll Be There。

 

絶望と憧憬

 

 

絶望の 底で憧れ いや増すは 空腹に食べる 粗飯のごとし

 

 

ランチも摂らずにひたすら働いた後の夕餉は、たとえ簡素な食事であっても、いつもより一層美味しく感じられる。また、札所巡りの途中にお接待でいただいた小さなおにぎりが口から痺れるような多幸感を生み出したあの感覚。あの時、烏滸がましくも"清貧"ということの一端を体験した気がした。

 

憧憬もこれに似ている。

 

"もう明日がない"という絶望感の中で抱くあこがれは、時を釘付けにして、痛みを忘れさせるほどの威力がある。

 

真偽はわからないが、昔、ベンガル語で"憧れ"にあたる言葉には同時に"絶望"という意味もあるのだと聞いたことがある。絶望と憧れは表裏一体なのだろうか。

 

裏切りや嫌悪にまみれた穢土としてのこの世界の形相に日々触れるにつけ、常寂光浄土としてのこの世界の偉大な輝きが、より引き立ってこの身に迫ってくる。

 

光が強くなれば影も深くなる。この世界は光と影のコントラストがとても美しい。

 

 

今日の一曲はエルレガーデンでミドル・オブ・ノーウェア。

 

 

 

テリハボク

 

Rickie-G MIROKU 

 

 

松の世も 弥勒下生の 龍華樹も すべて先取り 妙法の時輪

 

 

 

弥勒菩薩がその木の下で悟りを開くというタマヌ~テリハボクの木。そういえば、ジョンと海岸を長く歩くとき、ひとやすみするのはいつもテリハボクの木陰でした。涼しくて、心地よいのです。座ってそよ風に吹かれながら波が寄せるのを見ていると、なんとも心が落ち着いてきます。灼熱のインドでも、炎天下の路上などに比べたら、大きな木の涼しい木陰は極楽そのものではないでしょうか。お釈迦様が菩提樹の下で深い瞑想に入り真の悟りを得たというのも、弥勒菩薩が五十六億七千万年後に龍華樹(テリハボク)の下で悟りを開かれるというのにも、深くうなずける気がするのです。

 

 

nauhiaherb.com

 

 

 

時の輪を回して、過去に遡ったり、未来を先取りしたり。サッダルマのエンパワメントを注がれて、私の旅は加速する。

 

 

 

 

JELEE 最強ガール