「道化役でも喜んでやろう」侮らせておいて、油断させておいて、懐に充分入り込んだ上で、自らの思想を民衆の頭に叩き込む。「変わり者の面白おじさん」の皮を被った「可愛い犬でも容赦なく撃ち殺す独裁者」。見ていて怖かった。しかし、もっと怖いのは、この映画の最後で提示される「民衆一人一人の中に内住するヒトラー」だ。多くの一般人が明確な自覚なしに抱いているヒトラー的な要素。そう。ヒトラーは「帰ってくる」というよりは、常に潜在しているのだ。
昨日の記事でも書いたように、人は誰でもコンディションによって心が乱れるものだし、どんなに人徳の高い人であっても欲望が暴走するリスクは生きている限り必ず付きまとう。「自分に限ってそんなことはない」と思っている状態のほうがよほど怖い。大切なことは、自分であれ、信頼している人であれ、心の中には魔王が控えていることを忘れないでいて、その魔王と闘う姿勢を見せること。ウクライナやイスラエルで今この瞬間も起こっている非道な強奪・殺戮は、人間の胸中に巣食う魔王との闘争に敗れ、人間の下劣な恥部を隠しきれなくなってオモテに出てきてしまった状態だと思っている。同時に思い出すのは、人の胸中にはブッダやボーディサットヴァや天界の神々もいること。だから、懺悔や成長や更生の可能性が残されている。どんな悪人の心の中にも蓮の花開く仏の世界が潜在している。だから、「人は変われる」と確信できる。
何事も練習が必要だから、もともと人の心に潜在している神や仏のあたたかい世界をもっともっとオモテに出す練習をしよう。
人はみんな心に闇を持ってる。嫌なところ持ってる。恨み嫉み、持ってる。かっこいいか、かっこよくないかは、それを出すか、出さへんかで決まるんやぞ。レッツゴー。