物言わぬ 物の言葉が 入るまで 耳を澄ませて そっと語りかけ
特に仕事をする時心掛けているのは、これから使うペンやマウス、キーボードなどの物に「よろしくね」と語りかけること。忙しいと物の扱いがついつい雑になる。物に心はないにしても、お世話になるのだから、使い手として敬いの気持ちを忘れずにいたい。
何かの本に載っていた、ベネディクト派の修道士の話。確かあれは『インテグラル・ヨーガ』だったか。スプーンであれ、皿であれ、きちんと向き合って丁寧に取り扱えば、「チンッ」「チンッ」と喜びの声を上げる。
また、別のところで紹介されていた遠藤周作氏の話。
「枯れないでくれよ。いつまでも花を咲かせろよ。」
そしていたわりの言葉をつぶやきながら水を注いだ。
その結果、驚いたことには、秋になっても朝顔の花は絶えなかった。遠藤 周作著「ピアノ協奏曲二十一番」鈴木 秀子監修『人生には何ひとつ無駄なものはない』(海竜社)
このような例は古今東西、よく見聞きする話。
あらゆる有情非情の無意識に侵入するシャミ子の図。さあ、部屋も心も年末の大掃除だ!
ほとけの世界では、「非情成仏」を説く。草や木や花といった非情(心を持たない、いわゆる"モノ"のこと)も成仏するのだと。木に印字された曼荼羅が本尊となる根拠でもあるのだとか。
心が宿らないとされる"モノ"にも、尊いものが厳然と宿っている。
(シャミ子のくだり等を加筆しました)