夢一つ 朧げに観るは 万華鏡 もろびとこぞりて 集い覗かん
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*大峯ハイク
拙山では「南無妙法蓮華経」を唱えることはありませんが(法華懺法での十方念仏にはありますが)、大峯持経者の伝統もあり法華経を根本経典としており、白蓮華真言を日々の勤行や峯中の勤行で必ず唱えます。 pic.twitter.com/LIMvJpHZ0y
— 康記 (@couki_horagai) 2021年1月16日
大峯山では、大峯持経者の伝統があり、根本経典を法華経に据え、白蓮華真言(なむさだるま…)を読誦するらしい。
白蓮華真言は妙法蓮華経の題目(経典のタイトル)をサンスクリット語読みしたもので、賢治作品の『手紙 四』では終わりのほうで「すべてのいきもののほんとうの幸福」として登場する。なお、この作品は最愛の妹との死別が大きなモチーフになっており、グリーフケア的な読み方もできるような気がしている。
普段観光客が汽船で訪れる沖ノ島から干潮時にようやく現れる岩場を歩いて渡ります。大きな石や岩を伝い、頭をぶつけそうになりながら狭い洞窟に入って見上げると「妙法蓮華経序品第一」と彫られた背の高さほどの花崗岩の石碑が建っています。
*冬の星座探訪
鴻巣(こうのす)市から見た冬の星座案内 天文サークルいちばん
星空撮影地の見つけ方
*グラニート
グラニートはロシア語で花崗岩(墓石の石材としては御影石)の意。「みかげ」として賢治のポエムにも登場する。
東へ行くの?
白いみかげの胃の方へかい
さう
では おいで
『春と修羅』第2集 331「孤独と風童」より
ふたきれの
みかげせきざいに
みぞれは
さびしく
たまってゐる
「永訣の朝」より
*文化の架け橋となった歌姫
オフラ・ハザという一人の歌手が、一時とはいえ、交わり得ないふたつの文化圏の民から愛されたことは、十字軍の時代に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世(Friedrich II, 1194 - 1250)とアイユーブ朝の第5代スルターンのアル=カーミル(al-Malik al-Kāmil, 1180 - 1238)の間で成立したエルサレムの「10年の平和」に匹敵する奇跡だったのではないか
現在進行形で対立が続く二つの民の間に、「歌」という文化で一つの架け橋を渡した偉大なる歌姫オフラ・ハザ。彼女の出自であるイエメン系ユダヤ人の間で安息日の朝に食べられているのが「ジャフヌン」と「クバネ」。どちらも美味しそう。食べてみたい。
*コスモロジーの視座
この記事を書いている最中に、創価学会の3代目会長・池田大作氏の訃報に触れた。私は直接的には彼の主宰していたサンガと接点を持ったことがないし、わずかな著作にしか触れていない。伝道のあり方に賛否両論あったり、多くの敵対者と生涯にわたって対峙していたことも知っている。ただ、「文化を基調とした世界平和」を志向する立場には日頃から興味を持っていた。また、賢治と同じく、著名な法華経の行者だったことも彼を意識するきっかけとしては充分だったと思う。著作の中で個人的に印象深く感じた一節を引用して彼への手向けとしたい。
私は、それぞれの「コスモロジー」を包括しつつ、その意味を実現しゆく人間像を「世界市民」と呼んでいます。「世界市民」とは、それぞれの精神土壌、文化に深く根ざしつつ、それゆえにこそ、地球大、人類次元から、宇宙次元にまで視座を広げゆく人々であります。決して、自己のアイデンティティーを失い、グローバル化に翻弄される人間ではありません。
『美しき獅子の魂』アクシニア・D・ジュロヴァ共著より
ハービー・ハンコックもまた彼からエンパワメントを受けた弟子のうちの1人だった。
他宗派(浄土真宗)からの考察
ショーター「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」(御書1242ページ)という仏法の考え方が好きです。/私たちがそれらと共存しながら打ち勝つ道は、「一緒に笑わせること」ではないでしょうか。
池田 「一緒に笑わせる」ーいい言葉です。p.196
笑わせるいうターム。久本やナイツ塙などの信者の方々の信念が思い浮かびました。池田はこの後「立正安国論」を引き、「対話の途中席を立つ客人を咲み止めて諭す。反対者をも味方に変える座談の模範」と紹介。きちっと裏をとって話す姿勢。
魔をも覆い含むという、このスタンスは以前に読んだチベット系統の行者を紹介する記事でも展開されていた。もしかすると仏教に共通する「魔との対峙のあり方」なのかもしれない。
あるとき寝ていると二人組の魔がやってきたのがわかった。それは背の小さい、かわいいマスコットのような感じだった。彼らはわたしを脅そうとして来たようだったが、わたしはそのとき魔に対して余裕があったので、「おお、よく来たな。ゆっくりしていけよ」と呼び掛けた。すると彼らは動揺し、つむじ風のようになって窓から去って行った笑
「光と闇の同居」というモチーフは「まちかどまぞく」シリーズを彷彿とさせる。
*神の引力
カーバ神殿は磁石であり遠心分離機である。離れ、家に帰ることは、巡礼の最後の儀式である。
ティム・マッキントッシュ・スミス
私たちは時々、変化を夢見ることがあります。そして、想像の力がこの動き全てを生み出すからこそ、それが実現します。
アフメド・マータル
farahは中東の民の言語で「喜び」や「幸せ」を意味するらしい。
世は無常を欲している。一ヶ所に留まることなどできない。時の砂はいまこの瞬間にも両手からこぼれ落ちている。それは神の引力。集い、散らされ、また集い、また散らされる。出会いと別れの繰り返し。無常は基本的に苦痛を伴う。しかしこの頃思うのは、この運動の中にこそ、生きる喜びがあるように仕込まれているのかもしれないといふこと。