絶望の 底で憧れ いや増すは 空腹に食べる 粗飯のごとし
ランチも摂らずにひたすら働いた後の夕餉は、たとえ簡素な食事であっても、いつもより一層美味しく感じられる。また、札所巡りの途中にお接待でいただいた小さなおにぎりが口から痺れるような多幸感を生み出したあの感覚。あの時、烏滸がましくも"清貧"ということの一端を体験した気がした。
憧憬もこれに似ている。
"もう明日がない"という絶望感の中で抱くあこがれは、時を釘付けにして、痛みを忘れさせるほどの威力がある。
真偽はわからないが、昔、ベンガル語で"憧れ"にあたる言葉には同時に"絶望"という意味もあるのだと聞いたことがある。絶望と憧れは表裏一体なのだろうか。
裏切りや嫌悪にまみれた穢土としてのこの世界の形相に日々触れるにつけ、常寂光浄土としてのこの世界の偉大な輝きが、より引き立ってこの身に迫ってくる。
光が強くなれば影も深くなる。この世界は光と影のコントラストがとても美しい。
今日の一曲はエルレガーデンでミドル・オブ・ノーウェア。