キャンバスの 上にえがいた 自画像を 見て悦に入る 天の境涯
浄土とは如来の成所作智(じょうしょさち)の現象であるという。ウパニシャッドやシャンカラの注釈によると神は自己のキャンバスの上に自己自身の多様な絵を描き、己自身がそれを見ておおいに喜びに興じるという。成所作智はこの眺め楽しむ僭像の働きをいう。弁栄上人によると浄土がいまここを離れて物理的にあると考えるのは間違いで、法眼が開けばこの現実がそのまま浄土であると説く。
http://iihatobu.com/work/yamazaki.html
自分というものを定義しようとする時、神さまが白いキャンバスに描く無数の自画像のうちの一つという解釈がある。そしてその自画像たちはどれも、画家自身にとって見惚れるくらい快いものなのだと。佛典にも、浄土には美醜の差別がないと説かれる。
この世の尺度で醜いとか魅力的ではないとか評価されて、自分でもそれを受け入れてしまい、反芻して夜毎苦しんだ時期があった。でも、世間を出たところに別の視座があることを知ってから、少しずつ気が楽になった。冒頭の曲はあの頃聞いていた歌。聞いてください。ミスチルでAny。
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このブログを始めた頃に原作漫画を買った『恋は光』の映画版を見た。
面白かった。個人的に尊かったのは、神尾楓珠演じる主人公がヒロインの1人の読書日記やバイトの原稿に文字校正を加える場面。真剣な眼差しは痺れるものがあった。撮影場所が岡山で、県立美術館とか瀬戸大橋の袂とか、過去に訪れたことがあって個人的に思い入れが深いスポットがところどころ出てきたのもよかった。四国も良いけど、岡山もなかなか良い土地だ。独特の安定感が街にも山々にも漂っている。敬愛する藤井風の出身地でもあり、多くの宗教が本部を構える一大聖地でもある。旅行に行かれた際はぜひ、鷲羽山や神道山、吉備中山(きびのなかやま)を一度登ってみることをお勧めする。
常盤なる 吉備の中山 おしなべて 千歳を松の 深き色かな
(新古今和歌集 詠み人知らず)