君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
『朗詠集』
本日は79年目の終戦の日。いわゆる玉音放送は「其レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体セヨ」で終わる。未だ実現の道のり遥かに遠い世界平和を考える上で、時の天皇陛下の「意」が果たしてどこにあったのか、思慮を巡らしてみるのも有意義ではないか。
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玉音放送での昭和天皇の独特の節回しは、宮中祭祀の祝詞によるものといいます。ということは、これは昭和天皇から国民への祝詞だったのではないかと思います。日本の為の祈りであり日本が復興再生するための予祝でもあったということです。実際、詔勅の最後には未来を信じた言葉が連ねられています。だからこそ言霊としてこれは何度でも日本人が聴くべきものだったと思うのです。・・・・昭和天皇は、戦後復興には300年かかると考えてらっしゃいました。つまり、真の戦後復興が終わるまで、8月15日に玉音放送は聴き続ける、あるいは読み続けていくべきではないかと思います。そのための祝詞、予祝の言葉なのですから。
終戦の詔勅・・・300年後までを考えた言霊、予祝 | あめつちはじめてひらけしとき
言霊による予祝は短歌というかたちで行われることもあったのだが、王仁三郎は「素戔嗚の神の尊のつくらしし三十一文字は言霊の本よ」という歌まで残すほど短歌の持つ言霊の力にこだわりを持っていた。そのあらわれとして、彼は教団道場の建設予定地が決まると必ず現場を訪れ、その土地にちなんだ和歌を詠んでいるのだ。
「盛んなりし宮居の跡の鶴山に 山ホトトギス昼夜を啼く」(綾部)
「亀山の城址に立ちていにしへの英雄明智をしのぶ梅雨空」(亀山)
「百人一首」や「万葉集」などのなかにも、いまだ認知されていない予知、予言の歌が眠っている可能性は充分にある。あるいは、現代の歌人たちがリアルタイムで生み出している短歌のなかにも。それを見出して言霊の力を活用するのか、埋もれたままにしてしまうのか。それがこの悩める言霊の国・日本の未来を大きく左右することになるのかもしれない。
言霊が導く祈りと呪いと未来予知! 短歌の呪術世界/笹公人・大塚寅彦|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム
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喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び連れて 喜びに来る
明治期から大正期にかけて詠まれた歌らしい。明治維新、近代化、世界大戦と続く激動の時代に詠まれた一首だが、同じく激動のこの令和期を生き抜く上でも大きな支えとなる歌だと思う。
平和を願う時、あまりにも残酷な現実を目の前にして私たちは絶望しがちだけれども、まずは無邪気に予め祝う、予め喜ぶ、それから理想に至る道筋を工夫する、ということが言霊のレバレッジを活かすために何よりも重要な心意気と思う。