7オンスの庭

文化あふるる言の葉の庭

まもなく1周年

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無名にて 死なば星らに まぎれんか 輝く空の 生贄として

寺山修司寺山修司青春歌集』より

 

 

 

 

去年の6月5日に初めて投稿したこのブログもまもなく1周年を迎える。最初の記事にも綴っているが、このブログはもともと、別アプリに上げていたつぶやきのバックアップ目的で立ち上げたものだった。それが気がつけば「ほぼ日刊」のヘビー更新ブログに化けてしまった。すべては毎回星をつけてくださるみなさんと、はてなブログアプリの使い勝手の良さのお蔭である。いつもありがとう。

 

毎日のように一首の短歌と共に、その日の気分にあった音楽や短い文章を投稿してきた。よくもまあネタ切れにならないものだと我ながら驚いている。自分の中にこんなにも他の人と共有したい内容や感情があったのかと思うと、自分も人間としてまだまだ捨てたものではないと思えてくる。

 

学生時代に親しんでいたサイトのいくつかは、もう電脳世界に存在しない。たとえば、伝統的な芸術を古今東西の宗教的な表現と織り交ぜたような個人サイトがあった。サイト全体の背景画像もすごく凝った神秘的なデザインで、わたしはその空間の雰囲気が大好きだったが、今はもう存在しない。wayback machineでその断片を懐かしむことができる程度の情報しか残っていない。

 

この「7オンスの庭」も、電脳世界の大銀河の中では、ごく短い期間だけ片隅を照らし、やがて散っていく定めのひとつの小さな星に過ぎないのかもしれない。大好きだったあのサイトのように、誰かの心にほんのちょっとでも残っていて、何十年か経ったのち、そういえば毎日のように短歌を書き散らしていたサイトがあったなと懐かしんでもらえたら、それはそれで望ましく、美しい景色だとわたしは思っている。

 

これからも敷島の道をカタツムリの速度で、行けるところまで延ばしてみたい。

 

 

慈悲の祈り

 

 

本日の曲は、ヌーンでシェガヂサウダーヂ。

 

「想いあふれて(Chega de Saudade)」ジョアン・ジルベルト(1958) - まいにちポップス(My Niche Pops)

 

「サウダーヂ」というのはポルトガル語圏の音楽を聴くと、情感として理解できるし共感もできるのだが、日本語でどういうことなのか説明しようとすると途端に難しくなる。いつか短歌で表現できるようになりたい。