青柳の 枝にかかれる 春雨は いともてぬける 玉かとぞみる
今朝の日曜美術館は「本阿弥光悦」特集だった。興味があるアーティストなので面白かった。司会の小野さんも楽しそうだった。北斎と同じく、光悦も法華宗の信徒。宗祖である日蓮聖人がそうであったように、既存の伝統をぶっ壊して自由さを追い求める方向性、それから「娑婆即寂光土」と今生きているこの世界を肯定していく方向性、この2点が大きな特徴となる。番組の最後で紹介されていた『立正安国論』の写しは晩年の作で、手に痺れを抱えながらの書写だったらしい。しかし、歯を食いしばって書いた風情ではなく、楷書や行書が入り混じる自由闊達な書風。「仏教」と聞くと変に禁欲的な印象が一般には抱かれているかもしれないが、少なくとも光悦においては、そういう伝統的な因習からは全く解き放たれて、ありのまま、思いのまま、愉楽の境地で仏の世界を遊んでいたような印象を受ける。
冒頭の一首は俵屋宗達の絵に光悦が書を加えたもの。宗達もまた法華宗の信徒で、番組のナレーションでも紹介されていた通り、「法華ネットワーク」とでも呼ぶべき、精神的なものに基づく協業体制が存在していたらしい。
家康から京都の鷹峯の地を拝領し、当時は追い剥ぎも出る物騒な土地だったが、家族や親戚、琳派の芸術仲間たちと移り住み、芸術コミュニティを形成。芸術発信の一大聖地となった。没後、光悦寺というお寺も建立された。