砂漠にてオアシス求める旅のように繋がり求めて不毛な応酬
この街は砂漠のようだ。繋がりを求めても枯れた井戸のような出逢いしかない。表面的な会話、うすっぺらい言葉、口角だけ上がっていて目の奥に深い淀みが覗き伺えるような人々。挨拶が最初で最後、「また今度」の今度が来ないような街。この街に居場所なんてどこにもないーーー若い頃はよく、そんなことを思っていた。ほんとうは、どんな虚しいような出逢いの中にも、じっと目を凝らして見れば、ちゃんと大切な学びが秘められているというのに。
※以下 ブックマークです。
砂漠といえばメッカ。メッカといえばイスラーム。ということで(?)、イスラームの解説をご紹介。朗読されている方の声が美しい。神秘的な調べのクルアーンの詠唱が垣間見えるような。
下掲の動画は、クルアーン全114章のうちの第97、「みいつの夜」の章の詠唱動画。
そういえば、みいつの夜については以前こんな記事も読んだことがありました。神道系の方がスブドというイスラーム団体について触れたブログ記事でした。
文化が違って揉めること多いけど、文化が違うからこそ新たに知る愉しみもあると思います。
福(さきわい)のいかなる人か黒髪の 白くなるまで妹が音(こえ)を聞く
訳:ああなんと幸せなのだ、黒髪が白く染まるまでその妻の声を聞くことができる人は。
切なさが心に沁みる。
啄木のこと(三) 後藤瑞義 | 今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞 - 楽天ブログ
短歌の表記の話。勉強になります。一行書きの魔力。
↑ 今回から歌の表記を一行書きにしてみました。みなさま、いかがでしょうか?