7オンスの庭

文化あふるる言の葉の庭

献げるということ 2

 

前回記事はこちらから。

 

 

 

生活は一に信なり信あらば道おのずから開けゆくべし

 

窪田空穂

 

 

 



 

今年もアドベントのシーズンに入った。街ではクリスマスツリーや電飾が煌めいている。

 

あれはいつだっただろうか、もう何年も前のこと。当時の知り合いが通う教会で礼拝を共に受けたことがあった。素朴な造りの教会で、いい香りが漂っていた。礼拝の中で、「証」という体験談を共有するような時間帯があって、そこで聞いた話は今でもよく覚えている。

 

ひどい複雑骨折をしたご高齢の女性の話だった。医師から入院が長引くと言われていた。自分は讃美の奉仕をしていて、自分の代わりになる人もまた病気がちだった。讃美を守りたい、何とかして礼拝を守りたい、礼拝に参加するみんなのために、どうか早く治してください、私を用いてください、と必死に祈ったところ、予定よりもずいぶん早く骨折が治り、医師も教会員も彼女自身も大いにたまげた。そして、今日が退院後はじめての礼拝です、とのことだった。

 

鳥肌が立った。彼女が嘘を言っているようにはとても見えなかったから。

 

「奇跡」というのは、自分をほんたうの意味で献げた時には、確かに起こるものなんだなと感動したのをよく覚えている。

 

 

 

"I will bow my life

at Your feet

at Your feet"

 

 

 

Jolly Irish Christmas..