闘いに 挑み続ける ことでしか 聞けない教えが きっとあるから
かの有名なバガヴァッドギーターは、大義を感じられない戦争のどまんなかで、戦意喪失する戦士アルジュナの切羽詰まった必要に迫られて説かれた教えだった。
闘いは戦争だけではない。人生そのものが闘いのようなものだ。何のために生きているのかわからず意欲を喪失する時、アルジュナと自分が重なる。苦しい生活をやりくりするのも、綱渡りのような人間関係を保ち続けるのも、息苦しい社会で何とか呼吸をやめないでいるのも、立派な闘いだと思う。そうやって闘いに身を投じ続けることでしか、種々の教えを深く読み解くことはできない。
読み解きはじめたところで明らかになってくるのは、これらの闘いがすべて自分の心の中を主戦場にして展開されているということ。結局、行く手を阻む人々や事象と闘っているというよりも、自分の中の魔物と闘っているのだと段々と実感が湧いてくる。
人より何もかも遅れをとっている私は、狂いそうになりながら、いや、少しずつ狂いながら、自分と同じ顔を持つ魔物と取っ組み合って格闘している。
今日も中天を仰ぐ。厚い雲の上に控える晩夏の太陽を想像する。あのような燦々と輝く命を湧きあがらせたいと祈りながら。