最良の 夢をこの身で 供養する
苦行の末の 乳粥のごとく
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ある女性が年寄ってから世を棄てて、ブリンダーバンで宗教三昧に入りたいと望んだ。ラーマクリシュナはそれを断念させて、彼女は孫娘をあまりにも可愛がっているので、彼女の瞑想はそのために乱されるだろうと言った。そして付け加えた。
「もしあなたが孫娘に対する優しい愛情を、彼女がシュリー・ラディカ(ラーダー。クリシュナの愛人)だと思って育てていけば、ブリンダーバンでの生活から期待されるすべてのものがあたえられるでしょう。思うがままに彼女を愛撫し、美味しいものをやり、美しい着物を着せ、自分が満足するまで寵愛しなさい!ただしかし、そうしたすべての行ないの中にも、あなたがブリンダーバンの女神(ラーダーのこと)を崇めていることを憶えていてください。」(「ラーマクリシュナの教え」第一巻70節)
家庭は天国の雛形 〔エドガー・ケイシー〕 | 瑞霊に倣いてより引用、一部改変
恋慕のあるところに聖なる者は現れる。諸経の王さまである法華経の中でも肝要と名高い第16章においても、同様の教説が滔々と説かれている。それゆえに、形ばかりの出家遁走をして慈愛の枯れ果てた邪道に惑うよりかは、実社会において社会人として 愛でるべきをこよなく愛し、敬うべきを(誰が何と言おうとも)勇ましく敬い、自らの役割を全うすることによってダルマを実現するほうがはるかに良いと言える。私はそう確信する。