【 目に見えぬ 仏は神と あらわれて 人たすくなり 我をもらすな 】
(阿仏尼「十六夜日記」より 鹿嶋社の百首・述懐)
息子の相続問題の訴訟のために、アラ還で都会を離れ地方暮らしを始めた阿仏尼。
この一首は勝訴祈願のために神に捧げた歌のうちのひとつのようです。
「我を漏らすな」とは中々強く出ましたが、長年続いた訴訟は最終的に勝訴で幕を降ろしました。気丈な人の執念の願いに、目に見えぬ力が働いたのかもしれません。
※以下 ブックマークです。
パワーナップ用音楽
샘 Fountain · Needle&Gem
瀧の話
岩と水を見ながら、江戸時代には多くの精神疾患のある人が高尾山(薬王院)で治療のために滝行していたという話を数日前に聞いたのを思い出した。丹波市の岩瀧寺など全国的にそのような行場があったようで、昔は広く知られた治療法であったようだ。…ちなみに滝行には一定の治療効果があったようで、高尾山では産後の女性は治りやすいと言われていたようだ(理由は分からない)。
むかし苔むす山寺で、よく瀧行をしていたことを思い出す。夏場にもやったが、真冬にも、いわゆる寒行としてやった。私の世代ではきっと珍しい体験なのだと思うが、どうなのだろう?
瀧壺に入るまでの恐怖と葛藤、入る時の一瞬に凝縮された勇気、入った後の凄まじい爽快感。ノスタルジックであり、スポーティーな体験。心と体が同時に試されるような。あれは病みつきになる。一定の治療効果があったらしいのも頷ける。「瀧」という非日常的な空間には、目に見えぬ偉大な何かが働いているのかもしれない。