ブックマークと共有を兼ねて以下引用。
“私ね、一時期僧籍に入って、お寺のお葬式や法事の手伝いに行ったことがあるんです。普段は静かなお寺なのに、通夜の晩、きらきら、きらきら、まるでお祭りのように、寺のまわり全部がきらきら光るの。イメージとしてはきらきら光るスパンコールが舞いながら落ちて行くような感じなの。
敦子さんの話はここで終わる。
私はきらきら輝く寺の話を聞いたとき、あっと思った。十六、七歳の頃、私は法華経をよく読んでいた。信仰というより文学として読んでいたのである。 そのなかの「妙法蓮華経見宝塔品第十一」というくだりに、七宝の塔が地より湧出して空中に住在す。種々の宝物をもって之を荘校せり、とある。 無数ののぼりを立て、宝の瓔珞を垂れ、万億の宝の鈴を懸け、金・銀・瑠璃・瑪瑙・真珠など七宝で飾り、栴檀などの香りが世界に充満し、天からは曼荼羅華が降り注ぎ、伎楽は鳴りひびき……。
音楽のように重ねられていく経文を空襲のさなか、私は楽しんでいたが、矢部敦子さんの、通夜などの夜、寺院がスパンコールが落ちてくるようにきらきら輝く話を聞いて、ああそうなのか、お経のなかの宝塔は、まさしくあったことなのだろうと思った。
信・不信に関わらず、尊いものは人の胸を打つ。
何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる
「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」は西行の作か。 | レファレンス協同データベース