世人の悪態にも大慈あり。腹は立つだろう。当たり前だ。その怒りは揉み消されていいもんじゃない。けれども、怒りをただ虚しく暴発させるのでは芸が無い。「良家」を嗣ぐ者となったからには、むしろこの機に乗じて怒りを原動力に替えて益々発奮するくらいの気概でなければ。かくのごとく自戒する葉月のつごもり。
いつくしき 五色の幡に つゝまれて 大講堂ぞ ことにわびしき
さて、嗣ぐべき「良家」はどこにあるのか。叡山全山を巡りて虚し。高野を尋ねてもよそよそしく。五色はためく、されど法説かれず。こころの三千里をさすらう、 金剛不壊のふるさとを願い求めて。
あのくたら さんみゃくさんぼだいの ほとけたち わがたつそまに みやうがあらせたまへ
大師の願いは、市井の庶民の 「一隅を照らす」心意気にこそ、その成就を見ると思われる。悪僧の中にも宝玉あり。悪世間の中にも大慈あり。
底なしの 汚辱の沼に 咲く蓮華 こそ妙法の お世嗣ぎと知れ
本日の一曲は
Taylor SwiftでCruel Summer。