ゆず - Hey和
いはし水 きよき心に すむときく 神のちかひは 猶もたのもし
後嵯峨院
神は僕らの心の中にいまします。絶ゆることなく脈々と。曼荼羅の宇宙は僕らの中に広がるものなれば。
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道長は、法華信仰に傾倒したことで知られる人物である。既に寛弘年間(1004~12年)には、宇佐神宮の西参道の北側に、藤原道長・頼道父子によって新伽藍が建設されていた。これが喜多院内法華堂と同常行堂であるが、もちろん元命が関与していた。続いて元命は、石清水八幡宮の宝塔院の建立を始める。これは、弥勒寺の西宝塔院に対して東宝塔院と言われている。王城の境界と国家のそれを、セットになった宝塔院が護るのである。
八幡神社の総本山!国東半島「宇佐神宮」を訪ねた【半島をゆく 歴史解説編 国東半島2】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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当に知るべし、瞋恚は善悪に通ずるものなり。
応神天皇(八幡神) 父は仲哀天皇、母は神功皇后。明治以前、神功皇后は第十五代天皇、応神天皇は第十六代天皇であったが、明治以降に神功皇后は歴代天皇の代数に含められず、応神天皇が第十五代天皇とされた。
日蓮大聖人と私 智妙房御書(八幡天上由来)第二章 八幡大菩薩に対する世間の迷妄を示す